ケルトを巡る旅|本

ケルトを巡る旅」を読みました。
その中に出てくる、「ドルイド」という自然崇拝を目的の柱とする人々について、今の日本のミニマリズムに似ているな、と思ったのでメモしておきます。

p.108
私がさらにドルイドについて、「それは宗教なのですか?」と尋ねると、氏は「ドルイドは宗教ではない」と言う。「宗教ではなく、ある種の考え方の一致した者が好きなように入ってきているのだ」と。「ほのある種の考え方とは何ですか?」と訊くと、それは「自然を大切にする考え方のことだ」とおっしゃった。


ミニマリストも、大枠の考え方は「自分にとっての最小限は何だろう?」という出発であっても、それぞれに、それぞれのやり方があります。

儀式的過ぎれば気持ちはなくなるし、かといって「遊び」よりは自分の中での緊張感があるものでしょう。特に「何かをしなければならない」と決まりを作らないようにしている人が多くいるのは、「過程をクリエイトしていく」ことの楽しみに気づいているからの様に感じます。

p119
儀式、仕事、遊びの三要素はグルグル回っている。カイヨウ的に言えば、遊びが下位で、日常(仕事)、儀式、絶対者という図式なのだが、実はグルグル回りのどこからでも、絶対者につながることができるし、どこから転落することもできる。


ものを減らすことは、自分に向き合うことの様に感じますし、その課程で悟りのような境地にいったり、自然とのつながりを感じたりすることもあるでしょう。

儀式的でもあり、仕事にもなり、(実際片付けを仕事としている人も目立ってきました)、遊びでもあるというミニマリズムですが、それは一つのあり方にぱきっと定められないところが大きな魅力かな、と、ドルイドの儀式についてを読みながら再認識しました。