祓に考える、私と掃除
祓に考える、私と掃除。
今日は夏越の祓ですね♡
知らない間に、いろんな人を傷つけているかもしれないし、悪いモノをもらってきているかもしれない。
そういうものを、清算するタイミングが半年に一度あることはいいことです。
私の信仰について | Simple Life Journal
Akieさんのブログにて、「信仰」について書かれていました。
私も数日、考えてみました。
が、しっくりくる信仰については思い至らず。
部屋の掃除に今まで以上にはまっているというくらいです。
セスキソーダを溶かしたお湯で床をこすり、タオルで拭き上げる、というのにはまっています。
ホテルの掃除の方法のひとつに、掃除の最後にタオルで拭き上げをする、というのがあるそうです。
タオルで拭き上げると、空間が清潔になったような輝きが見られます。
鏡もキラリ。
自然と信じていることについて
知らない間に悪いモノをもらっていることもあるだろう、それは塩や神社へのお参り・お祓いで取り払うことができるだろう、という考えです。
この考え方を持っていると、出すべき時に、悪いモノを吐き出しきろう、という心構えになります。
過去の栄光やおごりもなるべく手放しておいたほうが、悪いモノも入ってきにくいだろう、ということです。
暦と掃除について
最近の掃除では、使っていない排水溝から小さな蠅が湧き出していて、においが気になります。ピーピースルーをよりよく使うために、ホースを注文中です。
虫が湧いてくる感じも、夏に入っていくんだなあ、という感じです。
また、マットレスもこまめにたてて乾かさないといけなくなってきました。
こんなことで暦を感じています。
掃除というのは重労働ですが、掃除をするほどに、過ごしやすく、快適な部屋へと戻っていく循環をこの目で見られるのは楽しいことです。
辺獄のシュヴェスタという絶望感満載の良い漫画があるのですが、その中でも、「希望を感じられないとすれば、与えられるものではなく、自分の手から生み出されるものだからだ」というような言葉があります。
掃除によって、希望を自分の手で生み出し、悪いモノを自分の手で払っていくことで、暦も感じながら、私なりの、信仰に近いような、そんなものについてを、考えています。