褒める自分の反省

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東京は久々の雨です。

 

私は昔から「褒める」ことが好きなのですが、「幸せになる勇気」を読んで、反省いたしました。

 

というのも、アドラーが言う問題行動の五段階の一段階目に、「賞賛の欲求」があると書かれていたからです。

 

 

褒めることも叱ることもしない、ただ、良き友人として、誰のことも、無条件に信頼する。これが、私に今できるかは自信がありません。

 

彼らの目的は、あくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば、「共同体のなかで特権的な地位を得ること」なのです。

ーp.91 幸せになる勇気

 

「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ、不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)をみにつけていく

 ーp.92 幸せになる勇気

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

他にも、「コミュニケーションのゴールは合意を形成することであり、自分の意見を伝えることではない」という言葉も、響きました。

 

響いた言葉ではあるのですが、自分自身が実践できるかというと、とてもそうは言えないです。

 

むしろ、褒めて褒めて、人のいいところをたくさん見つけると言うコミュニケーションをとってきた私は、誰かから見つけてもらいたかったし、褒めて欲しかった。

 

けれど、承認欲求には終わりがなく、常に飢餓感のある方向にしか向かわないのだと、反省しました。

 

 

また、人間は精神的に弱いというよりも、そもそもは身体的に弱い存在であるがゆえに、本来共同体感覚を体の中に持っているし、そのことで、生き抜くことができ、全ては分業している、という考えも、今の自分にはピンときました。

 

だからこそ、あるままで大丈夫なのだと。

 

褒めるということを、私がどういった態度で行っていくのか、これから考えてみたい。

 

褒める自分の反省ができた日でした。