ロリータとミニマリスト

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ヒッピー的な「持たない暮らし」から計画的な「洗練された暮らし」へ

私が最近面白いなと思うのは、ミニマリストがヒッピー的文化からクラシカルで長期的計画を建てることを好む几帳面な文化な人も台頭してきている点です。

 

社会へのアンチテーゼとしてのミニマリズムに計画性が加わっているのでしょう。

 

ロリータも、かつてはアンチテーゼでした。

「誰かが決めた普通や無難さに抗い、自分の世界観を忠実に守り凛としていること。」

それは、ミニマリストの姿と似ています。

 

ロリータもまたアナーキーアイデンティティとします。概念の海外進出の影響も大きいでしょうが、「流行としてのロリータ」が終わり、(渋谷は大型企業に乗っ取られ、コスチューム・プレイと同一視され)聖地原宿は形骸化した現代であるからこそ、そもそもの「ロリータとは何か」を孤独に考える作業が一層重要視されているからでしょう。

 

ミニマリストもそう。

「ものを持たないからミニマリスト」「資本主義へのアンチテーゼとしてのミニマリスト」などなどから出発し、現在ではそれぞれ個人が孤独をうちに秘めつつ自らの精神性や矜持を考え直している段階なのではないでしょうか。ミニマリストは生き方なのです。

 

ロリータ、ミニマリスト、そして孤独

ロリータとは、着ている服の嗜好ではなく、精神なのです。戦闘服なのです。

ロリータが自立的であるのは、ヒロインでありながら、ヒーローを必要とせず、自らの矜持を持ち、目に見えぬ影なるこだわりを丁寧に守るからだと言えます。

 

同じように、 ライフスタイルと一口にいっても、万人に受け入れられるわけではなく、孤独に実践し、たんたんとただ続けることに価値があることもあるでしょう。

 

自分の成長の手段としてミニマリストを選択していると明文化しているミニマリストブロガーもいます。

 

私にとって、「ものがないこと」だけがミニマリストではありません。

孤独でいること。ものに振り回されないこと。ものに矜持を持つこと。謙虚でいること。謙虚すぎないこと。そして、本当の意味で優しい人になりたいと思っています。

 

それが私のミニマリストとしての矜持です。