365日のシンプルライフの「もう欲しいモノは別にないような気がする」という言葉を出だしに、物欲なき時代の消費の気分についてをアーカイブ。
思い出した媒体
スペクテイターのホールアースカタログっぽさもあり。
ホールアースカタログ→ヒッピーカルチャーからの、オカルトやデバイス
物欲なき時代→そこまでヒッピー精神などを矜持にしていない人も手を出せる、ライフハックの流行を追っていく
ライフスタイルと百貨店
お客様はその方自身のライフスタイルをお持ちなので、それがテイストなのか生活観なのか生き方なのかはそれぞれだと思うんです。そうすると一人ひとりにあった衣食住を縦に揃えなければならないので、非常に難易度が高いです。 理想としてライフスタイル型のお店を作ることは良い事ですが、百貨店の場合、一〇〇人いれば六〇、七〇人が一般的なお客様てま、百貨店のセレクト力に期待するのがこれらの方々です。昨今のライフスタイル・ショップをはじめとする何かに特化した〝スペシャリティ・ストア〟に期待するお客様と百貨店に期待するお客様というのは住み分けされています。(中略)百貨店の場合はジェネラルの部分が七割くらい要求されるので、すべてをライフスタイル型にするのは不可能に近いのが事実です。 (p.046~p.047 「物欲なき時代」)
百貨店はスペシャリティを要求されてない
電子マネーと信頼
シェアについて
シェアというのは「束縛なきシェア」なんだと思う。
くっついたり離れたり、好きなときにできる。
その分、プラットフォームというか、家主側は不安定で、いつも誰かが急に出て行かないか気を揉んでいる状態になるのかな。アーティストのシェアアトリエとかは、結構そういう感じ。リーダーにしわ寄せがくる。
時代がモノや場所、グループに依存しなくなれば、個人のアイデンティティーはふわふわとしがちで、きっと大借金を抱えるひともいるだろうし、不安定な感情を抱きやすくもなるのではないかな。
オシャレ・よき生活の体現は、昔はファッション一本だったけど、食・住の方が売れる時代。CLUBでモデルを探すより、カフェでモデルを探す時代の気分。
そして、体験・ライフスタイルにお金を払う、そういう消費の傾向。
これは感想だけど、「物欲」から逃れても、結局ダサい体験やクソみたいな
体験は買わない。
明るいような暗いような。
ではではmoimoi〜〜!