ベティアンよ帰れ

 

 本としては、

 

世界SF全集〈第32巻〉世界のSF(短篇集) (1969年)
 

 こちらで読みました。

 

前半は、幼児から大学生までの10年ほどのコミュニケーションや感覚の違和感をダイナミックに描いていました(丁度義母と娘のブルースという漫画も平行して読んでいたので、10年ほどの成長を見守るという描き方の良さも感じていました)。小学生時代に級友と円滑にコミュニケーションをとるべく、人間関係を鎖だと捉えて、奮闘する姿は、SFという枠を超えた普遍性を持っていて、自分を思い出して辛いところがある。普通の人間と違うところは、成長しても成長しても、エイリアンであるがゆえの「新しいものを吸収する力」が衰えないところだ。自分の為に絵を描き、燃やし、いつか使う力だろうと思えるような行為は、誰しも心当たりがあるように思う。後半は、あちら側から見た世界の捉え方に入っていく。はっきり異なる描き方でありつつも、前半と後半が手を取り合うように補完しあうようで、ベティアンにとっての帰るところを深く考えました。

 

たまたま、漫画の

 

義母と娘のブルース(上) (ぶんか社コミックス)
 

 義母と娘のブルースを平行して読んでいたので、「10年以上の義母と娘のささやかな日常を描く」というダイナミックな描き方が共通項としてあげられるかな、と思いました。人間を見守るって奇妙で、それだけで物語ですね。