悪口を言わずに逃げ続けて失ったもの
まあ悪口というのはだるいし言わんし、基本的に避け続けてる人生だった。
小学生悪口
小学校2年生くらいのとき、仲のいい女の子3人のうち2人が集まると、残り1人の話になって、結局いいところも言うけど悪口になだれ込んで行って、なんとなく秘密を共有したような、興奮するような気分になった。
罵詈雑言否定から、そういうコミュニケーションもある、へ
綺麗な言葉じゃない、ということも、悪口を言わないひとつの理由である。言うのも恥ずかしいけど、言霊信仰。綺麗な言葉を投げかけ続けた水は美味しい、みたいな、スピりまくった考え。
なので、キツイ物言いが始まると、その場から立ち去ることを心がけてきた。けど、「ああいうダサいことをしてはダメ」とかを言うことによって、人の振り見て我が振り直すみたいなこともあるので、悪口というより陰口は教訓めいた部分もあるんだなあ〜と思えることもあった。かつ、私が勝手に選んだ「美しいお言葉」だけで喋る人だけがこの世界に住んでいるわけじゃない。ナチュラルに、あいつダセエよな、ということを言うコミュニケーションもあるんだ、というのを、見ないフリするよりは、私なんかが想像もつかないくらい、そういったことをいうことでコミュニケーションが成り立つこともあるんだなと思えた。何が深くて熱くてセンス良くてサグいのか、陰で学ぶのだ。
でも逃げ続けてきた
なるべくチェーンの居酒屋には行かない。悪口が始まるから。*1
歓迎会は1時間くらいで帰る、送別会は行かない。愚痴が始まるから。
そうやって逃げ続けることで、確かに密なコミュニケーションから、自分は弾かれてしまった実感がある。まあ、悪口を言う人が多い世界だと、言わん人のほうが目立つし、それで得してるところもある。けど、悪口から逃げることで、失ったことっていうのは、一緒に悪者になるという価値観を、共有できないという、ドライさとか他人の気持ちに寄り添えないといった自分の都合主義といった面でもあるんだと、実感している。
悪口の逃げ方
これは結構簡単
- 相手に服従する関係ではないと知らしめる
- (自分が)自己中であるとわかってもらう
- 「そういうこといって楽しいんですか」とかは言わない。「ああ、メンタルキツくなってきたんで帰りますね」とか言う。
悪口を言わない世界が良いって、私は簡単には言えないなと思う。結構ドライで自己中で寂しい世界だと思う。でも、私はそういう寂しい世界で生きていきたい。
*1:なるべくチェーンの居酒屋には行かない。悪口が始まるから。の、脈絡のなさ、頭が悪そうで笑える。